この何ヶ月かずっと自分の中がざわついています。

震災のことでは有りませんが、全ての日本人に関わる話なので触れておきます。

集団的自衛権の閣議決定です。

初めに言いますが私は集団的自衛権には反対です。

 

戦争は絶対にだめだ、というのはある特殊な人をのぞいて日本中の、世界中の人が思っている事です。

(狂信的な意見や、集団的自衛権イコール戦争ではないという意見もありますが、それは置いておきます。)

頑な意見のやり取りが多いなぁと感じますが、まずは誰もが戦争は望んでいないというところから議論を始めるべきなんじゃないかなと思います。

誰もがだめだと思っていても何故集団的自衛権に賛成するのか、憲法改正するべきと言っているのか?

そこには現状とたくさんの”もしも”の積み重ねがあるはずです。

戦争をどんなに正当化しようとしてもできないのに戦争が存在するということは、どの意見の立場にも矛盾と葛藤が必ず含まれてくるのではないでしょうか。

それはNOという私自身にも当然当てはまってたくさんの矛盾が渦巻いています。

あまり極端な例は出したくないので出しませんが、その賛成している人達のもしもが起こった場合自分がそれでもNOと言えるだろうか、ということをひとつひとつ考える事も必要です。そしてそのもしもが起こったらだけではなく、起こって行動した結果はどうなるかということも。逆の立場の人も同様です。

それぞれの思いを達成するにはどうすればいいのかも。

 

インターネットでの議論も様々な意見を知る事ができて良いのですが、この問題はできたら日常の生活の中で身近な人達と話をする機会を持つ事が大切なのではと思います。もう人ごとではなく日常に迫りつつある話です。人の命が関わってくるとても繊細な話なので言葉ひとつがその人となりを知らないと誤解もされがちになるだろうし、実際に口に出してみると自分でも思っていなかった事を感じることもあります。

 

やみくもにYES、NOではなく知ること、考える事、対話を放棄してはいけないなと感じています。

対話を放棄した先にあるものの1つが戦争だったりするのかもしれません。