9月の連休に少し時間があったので浦戸諸島の寒風沢島へ行ってきました。
船はマリンゲート塩竈から出ていて、桂島、野々島、寒風沢島、朴島の4つの有人島へ渡ることができます。有名な松島湾内に有り最終の朴島までの1時間、無数の美しい無人島を見ることもできます。
島の船着き場は破壊され周辺の家はなくなり更地になっていました。
しばらく行くと道が急に開けて水田がまっすぐ海まで続いています。
ちょうど稲刈りの時期。ここでは昔からの方法で農薬も使用せず、今では貴重になったササニシキを育てています。
宮城を代表する純米吟醸、浦霞の<寒風沢>もこの島の米で作られています。
震災後甚大な被害があり一時中断を余儀なくされていた稲作もたくさんの人の協力を得て復活しています。
ただやはり高齢化、過疎化が進み、8割もの休耕田となってしまっていたそうですが、NPO法人浦戸アイランド倶楽部などの支えがあり今に至っているようです。
こちらはもち米。
ここで農作業していたかたも若く元気ですがなんと72歳。夫婦ふたりで田んぼを守っているそうです。
震災のときの様子から話はどんどん進んでいき、時代は伊達政宗まで遡ります。
何度も祖先から繰り返されて語り継がれてきた話は、血となり肉となりまるでその人が体験したかのようにあふれてきます。
土地との強いつながりを持ちそういった遠い記憶と現在が混じり合って、また語り継がれていく。
それがどれだけ尊いことかをわたしたちは忘れかけています。
途絶えてしまったらもう紡げないのです。
土地と深く関わっていた被災した人々が震災後もなぜその土地にこだわるのかを簡単に忘れてはいけない。
ずっと理解できずにいることがあります。
なぜ農業に従事する人たちがよほどでないと生活が成り立たないのかということです。
経済ってなんだっけ?工場がストップするといけない、電気ガス水道が止まったら生活できない、うんぬんかんぬん。
もちろんその通りなんだけれど、そもそも人間は食べ物がなければ生きて行けない。その一番の生命の根本を支えている人達が暮らしていけない経済って、何度その仕組みを説明された所でわたしの理解の範疇を超えています。
今とても人間関係が悪くなっていて、よほどの気心がしれた同士ではないと震災の話はしないと島の人が言っていました。
これはこの島の話に限ったことではなくよく耳にする話です。
補償内容の差の大きさが進まない復興により軋轢を産んでしまうのです。長引く不自由な生活でそれはどんどん悪化しつつあります。
まわる所だけでまわって行く経済。
ずっと私たちの生活を支えてきてくれた沿岸部のひとたちの声は届いているのだろか?
ちょっとづつおかしな方向へ進んでいる気がしてならない最近の日本。
誰かのせいにするのではなく、自分のこととしてきちんと向き合わなければいけないなと強く感じています。